箱庭の人狼について

同人ボードゲーム「箱庭の人狼」について思うことを書く2回目。すでにプレイ回数より多い。世にはすでにいくどもプレイを繰り返している人がいるだろうに。プレイの代わりに書くのです。かと言って次のプレイが巧くできるなんて到底おもってないですよ。

まず。
私の立ち位置として人狼が嫌いです。ここ重要。

嫌いな理由として、

  • 脱落終了であること
  • しゃべることが制限されること
  • 発言内容にいちいちうっさいひとがいること
  • いろいろセオリーがあってうっさいひとがいること
  • 感想戦がうっさいひとがいること
  • とにかくうっさいひとがいること


などがある。と考えると人狼というゲームではなくて、人狼プレイヤーが嫌いなのだとわかる。ひいて「箱庭の人狼」であるが、人狼ゲームの厭なところ「脱落終了」が解決されている。とにかく全員が最後までプレイに参加できる。それでありながら人狼ゲームとして楽しめる。先の日記ではワンナイト人狼と違って目的が見えない、と書いたけれど、それはとんだ了見違いだった。目的はある。

  • 脱落終了がないこと
  • 少人数で遊べること
  • 惨劇ルーパー大好きですと伝えたいこと


このゲームデザインに感服した。時間が経てば経つほど、よく完成したものだと感心する。その場ではわからなかったことが時間をかけて考えれば判ったのは、単に私のお察し能力の低さが原因だとしても、考える時間を使うだけの魅力がこのゲームにはあるのは明白だ。ただ、基本的にはどうしようもなく人狼なので人狼が絶対ダメ、という人にはやっぱり無理ゲーなのは変わらない。ただカードの運用、チップの使用、タイルボードの利用など、ボードゲームとしての手触りもあるので、ボードゲームの手触りがないことを理由として人狼を毛嫌いしている人たちにはプレイして欲しい。のだけれど、無理かな、やっぱり。トマト嫌いにトマトケチャップを出すのとは違うか。トマト嫌いに、もぎりたて新鮮なトマトを出すような感覚に近いのかなー。いい例えが思いつかないので、また思いつたら書こう。

少人数で遊べるのだけれど、逆に多人数だと楽しくないだろう。大勢集まったら普通に人狼してください。惨劇ルーパーと違って延々相談できるところが好みだと気づいた。これは私がしゃべり中心のボードゲーマーだということに由来するのだろうけど。
とにかく私はボードゲーム中はとにかく喋っていたいのだ(インスト中は黙ります)。人狼ゲームだとテーマが決まっていて喋りやすいとも考えられるのだけれど、それは中盤以降の話で、序盤は手がかりもなんもない。単になんとなく脱落者が出てしまう。それに納得しろというのは無理だろう。せっかくの人狼なのに! このゲームでは初日に手がかりが多い。占い師、霊媒師は全員名乗り出ているし、その中には確実に人狼と狂人がいる。当面の議論対象は確定している。これは人狼にはない良い点だ。その意味では人狼初心者に向いている側面も持っているといえる。まず議題が提出され、脱落の心配なく発言ができることは、初心者には被害なくゲームが楽しめるということになるからだ。
ここまで考えてやっと、私は、人狼中毒の人も、これから中毒になる人も、いま知った人も楽しめる人狼、と考えられる箱庭の人狼は相当に完成されていると思い至った。前回の日記はまだ人狼嫌い視点からのみの評価であったが、時間が経ってちゃんと見えてきたように思う。できるなれば、興味のある人には届いて欲しいゲームだ。あとやっぱり、最後に他人の役職カードを見られるのは納得できない。ここだけエラッタだしてくれんかな。
またなんか思いついたら書きます。あと放課後リズムタイムをプレイしましたが、あまりに残念な完成度だった。筐体のデザインもなんかやっつけ感が強い。