ゲームマーケット 2014 春

昨日はゲームマーケット春でした。春?

以下、勝手な思い。

「7ワンダー」が出ればドラフトゲームが大挙して押し寄せ、「ラブレター」が出るや数枚のカードゲームが林立する。そういった流行り廃りを考えると「テラミスティカ」「ツォルキン」と言った重いゲームが流行った翌年だからか、ちゃんとしたゲームが多かったように思う。あと言葉をつかったパーティゲームかな。これは「キャット&チョコレート」と「テレストレーション」の影響じゃないかと愚考する次第。このあたりは面白いところで「ラブレター」っぽいのはいっぱい見るんだけど、「セイルトゥインディア」っぽいのはまったくみかけない。手が届きそう、あこがれると思えるのは前者で、後者はもう天才のなせる業と諦められるのだろう。もしくは憧れないか。

コンポーネントもちゃんとしたゲームが多く、いろいろとレベルが上がっていて、どれもこれも面白そうに見えるのと、ルールを聞いて、既存ボードゲームの何を目指したのかが解ったりして、それはそれでちょっと色がないように思った。一発アイディアをそのまま形にしました、という粗い、荒いボードゲームはほんと、鳴りを潜めている。
単に買いに行く参加者としては、ちゃんとした、行儀のいいのは、製品としてばんばん世に出ているのだから、同人ゲームが目指す方向はそっちじゃないと思う。
台湾からの出展ブースにあった「ランブルの森」はまさにそれで、ネコをキャラクターにあしらった「アグリコラ」+「プエルトリコ」。手番プレイヤーは行動タイルを選び、時計回りにほかのプレイヤーも村人がいればその行動を行える。全員が行動タイルを選び終わったら1ラウンド終了で、選ばれなかったタイルには食料ボーナスが置かれる。畑をつくり、水路を引き(「サンチアゴ」っぽい)、食料を生産し、村人を増やす。畑がタイルなので、これが尽きたらゲーム終了。
非常にそつがない。あれみたい、これみたい、と言える。そうおもうと、その連想するゲームを遊べばいいのであって、これを選ぶ理由がないように感じられたのが残念だった。同じ台湾ブースの靴を投げるゲームのほうが、類似性がなく、好みはあるだろうけど、選ぶ理由がある。台湾では、不満を感じる政治家に靴を投げる文化があるそうだ。使用するカードには現役台湾政治家の似顔絵が描かれていて、さっぱり馴染みはないけれど面白い。主題歌(政治批判の歌。とうぜん現地の言葉)CDつきというのもむちゃくちゃでいい。
並み居る先行作に対するあこがれだけでつくっちゃうのは、創作の原動力としてはぜんぜんありなんだけど、世に問うとなるとそれはまた別の力、デザインが必要になるんだと改めて感じた。

人に選ばれる、ということは、その人が足りないと感じさせるモノを内包しているということである。不足を埋めようとするために、人は行動を起こす。スマホが普及したとき何が訴求するかといえば、デザインだ。今のよりもっとかっこいい、洗練されたデザインの製品。機能的には変わるところはないのに、見た目が違うだけで人は購入、消費する。
その日、会場にあるあまたのボードゲームの中から、選ばれるために、なにをつけられるのか。具体的には見た目でどう差別化が図れるのか、を考慮したほうがいいんじゃないかな、と思えることが多かったのも事実。
もうほとんどのゲームはある程度は面白いのだから、もっと面白くするのはもうごく少数のほんとうに、選ばれた人だけのワザなので、手が向いていないほう、デザイン、見た目に力を注げばまた違う価値を持ち始めるんじゃないかなぁ、と。
ただ、勝手に、そっちでもなくて、ワンアイディア、思いつきだけ、暴力的な、わかった瞬間笑ってしまうくらいの、一点突破で作られたゲームを見たいと望んでしまう。主流や流行から離れた、浮嶋のような、比べるもののないボードゲームを見てみたいと望んでしまう。

そんなことを思って帰ったボードゲームマーケットでした。