ボードゲームにとって上達とは何か。

今月はミスボドに参加しなかったので、ボードゲームに関する駄文でもしたためる。

ボードゲームにとって上達とは何か。趣味には上達要素が必要だ。とはいえ趣味には限らず、継続が目的である行動には上達要素が必須だ。行動の「楽しさ」の中心要素は「うまくいった」「おもったとおり」などの期待が満たされることだからだ。
ではボードゲームにおける上達とは、具体的に何を指すのか。
たとえば特定のボードゲームにおいて上達、つまり勝利する回数が増えたこと。前述のとおり「おもったとおり」にプレイできたらそれは上達のあかしだろう。この評価軸であれば人狼、キャットアンドチョコレートなどの明確な勝利のないゲームでも上達を経験できる。
新作ゲームに触れた時にルールがすぐに理解できること、あそべること。これは経験に裏打ちされた理解のはやさが上達の結果だ。ゲームのルールを説明された時に「ワーカプレイスメント」とか「プエルトリコみたいなゲーム」と自身の経験を持ちだして理解するのは当然だし、そうやって理解した内容とプレイした体験に差がなければ上達したと感じられる。
他にもボードゲームを所有している、遊んだ経験、ルールを知っているなどの知識欲の充足も満足を感じるのだから「上達」だろう。すこし違和感はあるが。
しかし、上記は他の趣味と比べての「上達」とは異なるように感じている。上達とは出力結果の巧拙によって客観的に評価、理解されるべきだと思うからだ。なら特定タイトルへの理解の深さは上達に該当しそうなのだが、求めているのは「ボードゲーム」の上達なのだから、その細分である特定タイトルへの上達とは異なる。ただ特定タイトルへの上達が複数あつまれば、量をなせば「ボードゲームの上達」と言える可能性はある。
以上は私なりの結論を述べるための前提だ。
私の思う「ボードゲームの上達」とは「インストの上達」だ。またインストの上達と同位に「紹介の上達」もある。
誤解なく、理解されやすいようにインストを行う。また、インストまで行かずとも、ゲームについて聞かれたら一文で表現できること。ボードゲームのプレイには全く関係のない要素だけれど、ここに私が求める上達要素がある。
なぜならそれらは出力だからだ。出力結果があれば気づきは得られる。それこそが上達への階段であり、楽しむべき趣味の本質だろう。難しいルールのゲームを難しく説明するのはルールブックを読めばいい。簡単に説明するところに経験、知識が必要であり、上達の要素が眠っている。
ブログなどで遊んだゲームを紹介する。誰か、もしかすると未来の誰かにむけてどこが面白かったのかを簡単に説明する。これだって上達できると私たちは知っているはずだ。
ボードゲーム初心者から次への階段はインストができるか。インストは上手くなれる。そう考えてインストを受ければ、わかりやすいインスト、逆のそれ、などに気付ける。
この気づきは自分だけのものだ。そしてそこに上達がある。

今はそう思ってる。って書いちゃうと今度から私がインストの機会のハードルが上がっちゃうね。