「魔法科高校の劣等生」はおもしろい。

ネット界隈だと叩かれラノベの筆頭であろう「魔法科高校の劣等生」。
私は好きですし、新刊が楽しみです。
叩く人の心理というのは、その言葉を読めばだいたいわかるのですが、叩きやすい、の一点に収束するかな、と。やたら設定を書いてしまってるので、その矛盾とか、いろいろ都合がいいので(お兄様にとって)そのあたりとか。大体なんか問題があってもお兄様がその力で持ってあっさりさくっと根こそぎ解決しちゃうので「どうやって解決するんだこれ?!」という物語に対する期待はないです。お兄様がまたあたらしいすごい力で解決しちゃうので。
ゆうきまさみの「果てしない物語」の鉄人28号のはなしで、正太郎を攻撃すれば鉄人は止まると考えた敵が鉄人の足元を攻撃するのだけれど、正太郎はわざと鉄人の動きを止めて敵が作戦が成功したとみて行動した瞬間に逆転する、という内容を紹介しています。この挿話では「敵、すごい!」「どうするんだ、正太郎?!」「その手があったか!」と子供の感情を手玉に取っています。
物語とはやはり先に対する期待や興味、問題解決の方法だったりその結果だったりが一番の興味、読む力になると思います。ハリウッド脚本技術だかでいう「欠けたなにかを取り戻す」ためのすべてが物語なわけです。
が、「劣等生」はなにかあっても、まずお兄様がその力で解決してしまう。前述のとおり、これでは「どうやって」の部分に興味はわかないでしょう。しかも物語としては繰り返し繰り返しさすがですお兄様、となってしまうのでこれまた叩きやすい。
主人公のお兄様はまったくもって完璧の対応力を持っていて、魔法のキャンセルと最強の攻撃魔法とが使えてしまうので、魔法で戦う限り敵に勝ち目がないわけです。じゃあ魔法以外、となるとこの物語世界ではまったく役に立ちません。魔法最強。超便利。
「ハイスクールオーラバスター」や「とある魔術の禁書目録」の主人公は魔法の消去能力のみで問題解決に挑みます。その途中で仲間が増えて対応力が上昇し、本人の能力も知恵を出して使い方を編み出していく。
ところがどっこいお兄様は「神の左手悪魔の右手」「ヘルアンドヘブン!」なわけです。……お兄様の先達、いるな。どんな敵だってお兄様に近づく前に正体がわかってしまうし、隠そうとしてもお兄様の能力の前には全裸で渋谷のスクランブル交差点を逆立ちで歩いているようなものです。見たくなくても判ってしまうのです。
敵にブラックお兄様でも出てきてバランスを取りそうなものですが、残念ながらお兄様は「作られた最強」のためナチュラルメイドでは敵はいないのです。……大陸の軍人がお兄様以外の高校生におもしろいようにやられていたな。
叩かれるのはこれらの理由からでしょうか。
ライトノベルでは大人は無様で無教養で負ける存在なので仕方ないのです。能力的には成長しえないお兄様の内面の成長を描くビルドゥングスロマンと言えるでしょう。実際に高校に通うことでお兄様は変化していくのですから。
しかし、それは結果論でしかありません。
「劣等生」の面白さはSFであることに集約されます。この物語はサイエンス・フィクションです。数多く語られる設定はある思考実験の結果、世界を補足する補助線であり、その説得力がサイエンスフィクションとしての魅力を放ちます。
純化すればこの物語は「魔法がありCADがある」世界で能力者はどう生きられるのかという思考実験なのです。「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」で主人公は会場いっぱいのSF作家に「未来の問題を考えることができるのはあなたたちだけなのです」と演説します。
人類が進化の果てに魔法を得たら、それがまずなにより軍事力として利用されたとしたら。急激な寒冷化を経た地球でどのような政治的パラダイムシフトが起こり、現在のブロック化経済と折り合いを果たすのか。
それらSFが果たすべき未来の問題を舞台にした物語なのです。自分が魔法をつかえて、CADなんていうかっちょいい機械をつかえて、そのカスタマイズ能力が誰もよりも優れていて、最強の魔法が使えて、なんて物語のバランスなんてものは自分の都合のいい世界の創造には邪魔な存在でしかないのです。
明るい「ウィザーズブレイン」として。たった1つのファクタを扱う「禅銃」のような思考実験として。「万物理論」のような人類の進化の先を夢見る物語として。
SF的なSFへの愛、それもアガペーに近い愛があれば楽しめるのです。

※私は全力で「劣等生」をほめています。